「兄貴。これ、会社の金で払ってるよな?」

亡父の肖像と空席を挟み、会社資料を突きつける次男専務と動揺する長男社長

父が亡くなったあと、弟は「弟」ではなくなった。
同族会社で始まった、役員同士の責任追及。


「兄貴。これ、会社の金で払ってるよな?」

四十九日を終えたばかりの会議室で、専務の弟が一枚の振込明細を机に置きました。

父は創業者で会長。長男は社長、次男は専務。取引先からは「仲のいいご兄弟ですね」と言われてきた同族会社です。

兄が会社を代表し、弟が現場を支える。父が最後に決めれば、多少の不満はそこで収まる――少なくとも、父が生きている間はそう見えていました。

しかし弟の中には、別の時間が積み重なっていました。

「兄貴だけが親父に認められた」
「俺が取ってきた仕事も、最後は社長の実績になる」
「同じだけ働いているのに、この役員報酬はおかしい」

父の死と相続をきっかけに、弟は過去の決算書、稟議書、契約書、会社口座の出金を調べ始めます。

そこで見つかったのは、会社名義のカードで支払われた私的利用を疑わせる費用、承認の記録が見当たらない高額な支出、社長と近い会社への不透明な送金でした。

兄は声を荒らげます。

「今さら何言ってるんだ。親父だって知ってた話だろ」

兄にとっては、創業者である父が黙認してきた「うちのやり方」でした。取引先との関係づくりのために必要だった。会社にも利益は出ていた。弟だって何も言わなかった。

けれど、数日後に届いたのは家族会議の案内ではありません。

弁護士名で届いた内容証明には、代表取締役としての任務を怠り、会社に損害を与えた可能性があるとして、支出の説明、資料の開示、損害の回復を求める言葉が並んでいました。

兄は弟を問い詰めます。

「お前だって知ってただろ!」

弟は、目をそらしませんでした。

「知ってたよ。だから資料も残してある。」

昨日まで同じ食卓につき、同じ父を見送った弟が、今日は会社の損害と社長の責任を追及する側にいる。

身内だから見逃してもらえるのではありません。身内だからこそ、何年分もの事情を知り、どこに記録があるかも知っているのです。

これは単純な「弟が兄を訴える話」ではありません

この場面を「役員である弟が、別の役員である兄を直接訴えた」とだけ説明すると、会社法上の構造を単純化しすぎます。

取締役が任務を怠り、それによって会社に損害を与えた場合、会社法423条1項により、取締役は会社に対する損害賠償責任を負う可能性があります。

つまり、会社に生じた損害の回復を求める権利は、原則として会社にあります。弟が取締役として社内で調査や責任追及を求め、適切な機関決定を経て会社が兄に請求する場合、訴える主体は「弟個人」ではなく会社です。

また、弟が相続などにより株主でもあり、会社が責任追及の訴えを起こさない場合には、所定の手続を経て、株主が会社のために責任追及等の訴え、いわゆる株主代表訴訟を提起することが問題になります。原則として、まず会社に提訴を請求し、会社が一定期間内に訴えを提起しない場合に株主が提起する仕組みです。そこで回復される利益も、基本的には株主個人ではなく会社に帰属します。

なお、会社と取締役との間の訴えで誰が会社を代表するかは、監査役の設置状況や監査範囲、会社の機関設計などによって異なります。「社長が会社を代表して、自分自身を訴える」という単純な形にはなりません。

責任の有無は、支出の目的、会社への利益、必要な承認、意思決定の過程、他の役員の関与、会社に生じた損害、因果関係など、具体的な事情によって判断されます。経営判断が結果的に失敗しただけで、直ちに任務懈怠となるわけでもありません。

「父も知っていた」は、会社の承認と同じでしょうか

同族会社では、創業者の一言が事実上の最終決定になっていることがあります。

「親父がいいと言った」
「家族全員が知っていた」
「昔からこのやり方だった」

しかし、家族内の了解と、会社として必要な手続を踏んだ承認は同じとは限りません。

取締役会や株主総会の承認が必要な取引だったのか。利益相反取引や競業取引に当たらないか。役員報酬や関連当事者への支払に適切な決定があったか。議事録や稟議書に、目的、金額、利害関係、判断理由が残っているか。

父の存命中は誰も問題にしなかった支出でも、父が亡くなり、株式と議決権の構成が変われば、過去の曖昧さが一気に責任問題へ変わることがあります。

兄だけが悪く、弟だけが正しいわけではない

兄には、脇の甘い経営がありました。

会社と個人の財布の境目が曖昧だった。父の了解に頼り、正式な承認や記録を軽く見ていた。弟の不満を「昔からひがみっぽい」の一言で片づけていた。

一方、弟にも別の危うさがあります。

支出を以前から知りながら、その場では止めなかった。問題を正すためではなく、相続や経営権の争いで兄を追い込む材料として記録をためていた可能性もあります。弟自身が取締役として監視・是正すべき立場にあり、関与や黙認の程度によっては、弟の責任も問題になり得ます。

「知っていた。だから資料も残してある。」

その言葉は兄にとって脅威ですが、弟にとっても安全を保証する言葉ではありません。

複数の取締役が任務を怠り、会社に損害を与えたと評価されれば、一人だけの問題では終わらない可能性があります。

この争いに、きれいな被害者と加害者はいません。

父がいる間は、家族の情と創業者の権威がふたをしていた。父が亡くなった瞬間、その下にあった報酬への不満、承継への疑念、兄弟間の評価の差、曖昧な経理処理が、すべて「経営責任」という言葉に変わって噴き出したのです。

経営者が確認しておきたい初動

内容証明や責任追及の通知が届いたとき、最初に兄弟だけで話をつけようとすると、感情的な応酬、資料の散逸、従業員への圧力、取引先への不用意な説明につながるおそれがあります。

まず確認したいのは、次のような点です。

  1. 通知と関連資料をそのまま保全する
    内容証明、封筒、添付資料、メール、会計データ、稟議書、契約書、議事録、チャット履歴を削除・修正せず保存します。

  2. 兄弟だけで結論を出さない
    誰が会社の意思決定に参加できるか、誰が利害関係を持つかを整理し、会社法務に詳しい弁護士等へ相談します。

  3. 会社の損害と家族の不満を分けて整理する
    相続、株式、役員報酬、経営権への不満と、会社に実際に生じた損害を混ぜないことが重要です。

  4. 支出ごとに目的と決定過程を確認する
    金額、支払先、会社にもたらした利益、必要な承認、関与者、証拠を時系列で整理します。

  5. 関係者への働きかけを控える
    経理担当者へ口裏合わせを求めたり、資料の廃棄・書き換えを指示したり、説明を封じたりしないようにします。

  6. 事業継続への影響も確認する
    取引先、金融機関、従業員、決裁権限、銀行口座、株主総会・取締役会の運営など、兄弟の対立で止まり得る業務を洗い出します。

3分チェック|身内が経営責任を追及する前に

□ 会社の支出と役員個人の支出を明確に分けている
□ 高額支出や関連会社との取引について承認基準がある
□ 取締役会・株主総会の議事録に判断理由を残している
□ 利益相反取引・競業取引の確認手順がある
□ 役員報酬の決定根拠と手続を説明できる
□ 創業者の口頭了解だけで重要事項を処理していない
□ 家族と株主、取締役としての立場を分けて話し合える
□ 株式・議決権・相続後の経営体制を確認している
□ 役員間で対立が起きた場合の決裁・代表・相談ルートがある
□ 会計資料、稟議書、契約書、メール等の保存ルールがある

一つでも説明できない項目があれば、問題が起きる前に整理する価値があります。

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父が亡くなったあと、弟は「弟」ではなくなった

同族会社の怖さは、身内だから争わないことではありません。

相手の癖も、弱みも、過去のやり取りも、書類の場所も知っていることです。

そして、長く口に出せなかった感情があることです。

経営責任の追及は、会社の損害を回復するための制度です。しかし同族会社では、その制度が、相続、経営権、役員報酬、親からの評価をめぐる積年の感情と結びつくことがあります。

父が生きている間、会社は家族の関係で回っていたのかもしれません。

父がいなくなったあとも会社として回る仕組みがあるか――問われるのは、そこです。

すでに役員間の対立、責任追及、代理人からの通知、相続や株式をめぐる争いが生じている場合は、資料を動かしたり相手へ直接働きかけたりする前に、会社法務・相続に詳しい弁護士等へご相談ください。

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参考資料・最終確認

  • 会社法423条(役員等の株式会社に対する損害賠償責任)
  • 会社法386条(会社と取締役との間の訴えにおける会社の代表)
  • 会社法847条(株主による責任追及等の訴え)
  • 東京地方裁判所民事第8部「会社訴訟について」
  • 東京地方裁判所民事第8部「会社と(元)取締役・(元)執行役との間の訴えにおける会社の代表者に関する一覧表」

最終確認日:2026年8月30日

本記事の物語は、同族会社で起こり得る経営リスクを説明するための架空の設定であり、特定の人物、会社、事件を題材としたものではありません。取締役の責任、会社の意思決定、株主代表訴訟の要件、会社を代表する者は、会社の機関設計、定款、株式保有状況、具体的事実等により異なります。本記事は個別案件の法的判断を示すものではありません。

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本ページは、法人・医療機関等の経営リスクを考えるための一般的な情報です。個別の事案における責任の有無や必要な対応は、具体的な状況によって異なります。実際の個別判断については、関係機関または適切な専門家へご確認ください。

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