そのビルは、水害が多い地域ではなかった。
川が氾濫したわけでもない。
ただ、その日の雨は異常だった。
短時間に猛烈な雨が降り、排水が追いつかない。
一時的に水が流れ込み――
エレベーターが止まった。
雨が弱まると、水はすぐに引いた。
オーナーも少しホッとした。
ところが、
エレベーターは動かない。
保守会社へ電話する。
「いつ来てもらえますか?」
「同じような浸水故障が集中していまして……いつ伺えるか、まだ分かりません」
「え……?」
そこへ、2階の医院から電話が入った。
「オーナーさん、困りました」
「車椅子の患者さんが上がって来られないんです」
高齢の患者さんからも、予約のキャンセルが出始めているという。
そして院長が、少し間を置いて言った。
「これが何日も続いたら……医院としても相当な影響が出ますよ」
「…………」
オーナーにも、その言葉の意味は分かった。
これ、修理だけの話じゃないぞ。
大雨で設備が故障したからといって、テナントに生じた損失をすべてオーナーが負担するとは限りません。
自然災害の規模や原因、建物の管理状況、事前に予測できたのか、どのような対策をしていたのか。
賃貸借契約の内容などによっても変わります。
ただ――
エレベーターが止まったことで、テナントの営業まで止まる。
そこまで行けば、問題は「エレベーターの修理代」だけでは済まなくなる可能性があります。
そして、もう一つ。
修理するためのお金を用意できたとしても、
すぐに復旧できるとは限りません。
部品が来ない。
業者が来られない。
安全確認が終わらない。
その間にも、予約のキャンセルは増えていく。
修理代の問題と、
「設備が使えない時間」の問題は別です。
では、その時間をどう短くするのか。
浸水したら、まず誰に連絡するのか。
設備が止まったら、テナントへどう伝えるのか。
復旧までに何ができるのか。
何も起きていない時に、設備会社や管理会社などへ相談しておくこともできます。
夜。
ようやく一日の対応を終えたオーナーは、疲れ切って自宅のタワーマンションへ帰った。
エントランスに入ると、人だかりができている。
嫌な予感がした。
貼り紙を見る。
「浸水の影響により、エレベーター停止」
「…………嘘だろ」
自宅は最上階。
オーナーは黙って階段を上り始めた。
一段。
また一段。
ようやく最上階。
玄関前までたどり着き、壁にもたれた。
その時――
プルルルル……
携帯が鳴った。
画面を見る。
「○○医院 院長」
「……はい」
「オーナーさん。明日もエレベーター、動かないんですよね?」
オーナーは、玄関前に座り込んだ。

